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内側のシアワセ。外側の幸福。
自分の掌にのっているものがシアワセ。在って当たり前のように思って重さも感じない。自分の目では何がのっているのか見ることができない。掌から落ちて砕けて初めてそれが何だったのかわかる。
他人の掌にのっているものが幸福。他人の掌の上にあるものはマザマザと見える。だから欲しくなったりする。なぜ私にはアレが与えられていないのだろう、とか嘆いたりもする。
消極的とか内向的とかの呼び名もあるけども、私にとってシアワセって自分が既に持っているものですヨ。五体満足で生まれて戦争の無い国に暮らしてご飯が食べられて、とか。大切な人たちもやっぱり元気に暮らしていて理不尽に命奪われたりしなくて。最低条件のようなことが不足なく揃っているのが実はいちばんシアワセなんだと思う。
Read More... 生きているとどうしてもアレが欲しいとかコレが欲しいとか、それこそ自分で「掴み取って」いかなくちゃいけない外部の幸福要因はいっぱい目に入る。自分でどんどんそーゆーものを取り込んでいく精力的な人もいるし、私なんかは欲しいナーいいナーと思っても指くわえて見てるだけで終わることの方が多いけど、巡り合わせが悪くて欲しい物を手に入れられなくて挫ける人もいる。
何か手に入らなくて身体ばきばきに折れるほど哀しくて、世の中ってなんて理不尽なんだ、と思うこともあるけれど、そういうものって結局無くても自分は生きていけるものなんだと。私に必要無いから私には届かなかった。ほんとにそれを必要としている人のところにいったんだろうと思う。
自分のものになるとどうしてもその価値が見えなくなるし。そうやってその価値に気づかないまま自分の中に埋もれているたくさんのものが、ホントはシアワセってものなんじゃないのかと。私はそう思う。失わなければ決してその真価はわからないものなのだと思う。
人によってシアワセって色々で、何か大きな目標があってそれを自分のシアワセと決めている人もいるだろうし、これさえあればシアワセって言えるような絶対要因をひとつ決めている人もいるだろうし、様々でそれはいいと思う。自分のシアワセは自分で決めればいいんだよ。今あるもので満足しろって言ってるわけじゃない。積極的に取りに行けってわけでもない。他人の価値観をそのまま受け容れなくていいんだということ。
貴女のことを大切に思っている人たちにとって一番ツライのは、貴女が一人で苦しんで自分を追い込んでしまうことじゃないのかな。迷惑でも何でも、大事な人にはちゃんとかけたほうがいいんだよ。人って案外他人に鈍感なものだから、言葉や身振りで伝えないとわからないこともたくさんあるよ。言葉を尽くしても伝わらないことや伝わらない相手もいるけど、貴女を大切に思う人なら、理解しようとしてくれるはず。
貴女は一人ぼっちじゃないでショ ?
自分でちゃんと言ってごらん。私が言ったって一時的な痛み止めにしかならない。貴女が言ってはじめて貴女のチカラになるんだよ。
貴女は一人ぼっちじゃない。
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2005.10.29.17:48 | by 架路 |
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