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門を開く
誤魔化しは、やっぱりむつかしい。
言ったら負ける。
認めたら負ける。
終わりから始まるのはもう厭ですし。
そう思ってまたしても自嘲するのは、名前さんのことを思い出すからです。名前さんは私の中で色々な意味でヒナガタです。メグミさんのごたごたも、「あぁこれは名前さんの時とおんなし。」と思い、今回のぐねぐねでもまた「名前さんの時も」と思うのです。
思えば名前さんも、私に何にも代え難い自信につながる肯定をくださって、私は現実世界で名前さんとの接触がギロチンで断ち切るようにして終わった瞬間、ここより始まると誤解して、七年間をひきずったのです。
それを繰り返すのかい、自分。
まさかさすがにここから七年はあるまいが。
Read More... うむ。
だけども。
もうナゼは問いませんし。
自己否定も変わりません。
アレはものすごく、ではないにしても刺さった瞬間にちくりと、電気走ったようで思わず反射的に飛びすさってしまうような、小さいけれども鋭い痛み。そしていつも存在を忘れることのできない掌の棘。抜こうとすればするほどに奥へ入っていってしまう棘。
棘はただの棘であって、そのうち腐ってずぶずぶ出てくるに違いはないけれど、棘が刺さったというのも誰の悪意が働いたわけではなくて、棘のあるところに私が手を出してしまったというだけなのだけれども。
やっぱり刺さりっぱなしは気になるし、その部分に何かがあたると、また飛びすさりそうな痛みが起こる。
否定の痛み。
同時にあの厭な苦味。
サンドベージュ。
階段一段踏みしめるたびに、大丈夫。大丈夫。大丈夫。と、ぼそぼそ呟かなければいけないのは不審ですし。
私も立ち止まりたいと何度か思った。
けれどそれよりも早く歩いて着く方が得策だと。
ツラくても結局はいいんだと。
何が良いも悪いも無いというなら、悪いほうを選ぶのにもやっぱり良いも悪いもないのだろうか。詭弁とも言うか。言葉をこねくりまわしていても、在るモノを否定することはできませんよ。どんな理由をつけてみても、何ものにも何ごとにも理由が無いというならそれも無駄なことじゃないですか。
どうするもこうするもない、やっぱり変えられないものを変えることはできない。
こっちに振れたがるのもそっちに振れたがるのも、私の内的な問題でしかなく、私の外にあるものを結局はどうすることもできない。
ならばもういいじゃないか。
だけどどういいのかがわからない。
痛いからいじりたくない。けれどはやく棘を抜きたい。下手にいじくるとますます奥に潜る。腐ってずぶずぶ出てくるのを、待っているしかない。
時間任せは苦手なのに。
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2005.07.29.22:59
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