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人も死ぬサ。
紙が死んだ。
あいや、「神」が死んだ。まぁ、「紙」も死につつあるよーだけど。しかしなかなか死にはしない。そしていつか結局人は紙に戻っていくのではないかと思う。ハードディスクとか、あるようでないようでやっぱり形だけはいっぱしにあるようで、けれど結局ないような媒体のオソロシサってものに人が気がついたらば。気がつくまでに人がなくなっていなければ。どーのこーの言って毎日出まくっているわけだし、新刊は。
モトへ。
神が死んだ。
神は死んだらしい。そしてヒトは存在する意義を見失ったのだという。確かに、自分の存在する意義なんて偶然と進化の過程以上のものではないように思う。世代から世代へのただのつなぎ目。そして私は、いまのところつないですらいない。打ち止めになりかねない。
Read More... 神がもし存在するのなら、私は、じゃあその意志ってものは何だ?と、探索に必死になれたのだろうに。
いや、数年前までは、探索に必死だった。実際。
神の意志ではないにすれ、あるひとつの偶然に、何らかの意志が作用していることを証明したくて必死だった。ずいぶんとたくさん言葉を繰った。考えた。あらゆることを仮定した。その過程で、ずいぶんとたくさん、私は言葉を繰った。言葉を吐いた。言葉を消化した。言葉を昇華した。
ふっつりと、それをやめてから、何も出なくなった。
自分が今ここにいる意味は、遺伝子の意志でしかないと思った。
よりよくより易く生きるために進化の過程。
世代ごとに様々な試行錯誤。
手を替え品を替え。
そうやって送り出される世代は、子殺しで親殺しだ。笑える。いや、子殺し親殺しなんて昔からあったか。じゃあ仮想世界に溺れるヒッキーか?けども、ネットがいくら氾濫しても結局職場ではヒトとヒトが向かい合って話をしている。言うほどまだまだ悪くない。
そう思うのは私の感覚が鈍いからか。
それとも紙媒体のアナログな分野にいるからか。
危機感、ひしひしと肌で感じるよーな世界ならまた違うのだろうけど。
僕らほんとうに進化できているのか?背は高くなったらしいが確かに。
このままぐんぐん伸びていってキリンのようになれたらばステキか?
人間は大きくはならないのだろうか。小さくもならないのだろうか。
進化の過程で、なぜサイズはもっと極端に変化しなかったのだろう。それとも今でも大きすぎるくらいかな。人間がもっと小さかったら、二酸化炭素の量も減ったのであろうか。それとも個体が小さかろうと個数が増えて結局は同じくらいの環境破壊に走るのだろうか。小さな生き物は寿命が短い。世代交代が早まって進化も進んだら、何か今よりは利口な生き物になれやしなかっただろうか。
感情が消えていく。
それは私には進化と映る。
紙が死んだ。
いや、紙は死んでない。
神が死んだ。
なのに僕ら、「人間様」とゆー感覚だけを捨てきれないでいるのだ。人間は別に特別に作られたわけじゃない。そのことだけを正さないまま、神だけを失って、この先どこへ走るのだろう。
その姿、なんで哀れに見えるのだろう。
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2007.10.21.00:12
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