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民俗学的資料としての自文

てゆーかですよ。

日記といふものの本分は、「千年後まで生き残れたら民俗学的資料として利用されうる」ことにあると思っているのです、密かに。千年前の庶民がどのように日々是暮らしていたものか、ということが緻密にわかればわかるほど良い。個人の生活の記録が細々と記されていればいるほど、日記としての価値は高まるもんである、と。

その点、わけのわからない抽象語ばかり書き連ねられる斯様な日記は、自己満足にこそ成り得れ、ひとたび私の中を抜け出たならば誰の役にもたちゃしねぇ、鼻かんでポイッと捻り捨てられるくらいがいいザマで、印刷物として存在すらしないモニタの中の活字では、それこそ闇から闇へ消えて誰にも惜しまれることのないもんである。

という長ったらしい文章を頭の中で構成いたしまして。

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2003.05.06.20:59 | トラックバック (0) |

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