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自分の中心
私の中には私がいなくちゃいけない。
私の中心にあの人を据えるのは厭だ。
私の生活があの人を中心に回るのは厭だ。
だから自分を抑え込まなければいけない。
けれど自分を抑え込むのは苦しい。
アナグリフのような正体の無いものならばなおさら、それをめがけて走ったりしたらいけないじゃないか。すり抜けて捕まらないものなら。
Read More... 自分を抑え込むのは苦しい。
またしても自分の半身、走り出そうとしているそれはある意味で私よりよほど自由に生きようとしているただの無垢なココロの半身を、心臓にナイフ突きつけて無理矢理に抑え込んでいるかのようだ。
本当にそのこを走らせたくないのならば、ぐるぐる巻きに縛っておけばいい。掌でもなんでも、その後ろにある理性の壁に打ち付けておけばいい。いっそ殺してしまったらばいい。
けれども、そうしないのは、できないのは、私が本当はそのこを走らせたいと思っているからだ。本当は走って行ってほしい。できるなら私からナイフを奪い取って私を逆に打ち倒して行ってほしい。そうすれば私は二度と止められない。私は私に、私を殺してしまってほしい。
そうしたら走り出す私を、二度と止められない。
ほんとうは走って行って、転ぼうと傷つこうと足が動かなくなるまで走って何処にも辿り着けまいと、どんな結果に出逢おうが、私は走って行くのがいいのだと思う。私は走ってほしいのだと思う。
けれども。
やっぱり、痛いのは厭だ。
私は傷つきたくない。
走り出した自分を後悔することが目に見えているから、可能性とかたいそうな名前を頂いているたかが数字に賭けてみたくはない。
他人を中心に自分が回るのは厭だ。
走りたくなんてない。走りたい。
自分が自分であることをこれ以上悔いたくはない。
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2005.10.06.13:24
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