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言葉のないところから
昨日の二秒を反芻した。
あの二秒の前と後で、自分の心構えというものが極端に変わったのが不思議だった。そこまでの自分はずっと苛々しているような鬱々しているような、自分を取り巻くものが確実に明度を減じたような感覚に落ち込んで、アラタさんを擁する今の自分の状況までもが「つまらないもの」だった。
ように思う。この人に出逢う機会を無理に自分で作り出すのではなかった、つまらないものにかかずりあってしまった、そんな鬱陶しさで一杯だった。
まるであの日のよーに。
窓の外見つめて苛々していた。
何がきっかけだったのか覚えていない。
顔を上げたらアラタさんの 眸 があった。
め が。
Read More... あの二秒の間に存在したあの人の意識も何もかもを、私がまるまるもらってしまっていいのだ、という。それは何かあの人に関する全権を委任されたような。
いろいろなものがするするほどけていくようだった。
楽になった。とても。
二秒の間のあの人の存在をまるごと私はもらったのだ。
それはその時に私が完全に手放していた「信じる」「まかせる」というような、人と人とが無防備により掛かり合う、そんな相互関係の在り方というものの回復した二秒間だったのだと。
考えてみて結論づけたのです。
私がこちら側で言葉を尽くしても失ったものを、アラタさんは反対側から沈黙のままにふいと私の掌に投げ入れてくれた、そのような。
その二秒。
その二秒が光の濾紙のように私の身体を濾過したのです。しがみついていた厭なものがするすると自ずからほどけていって、アラタさんに別れてからもそれは時が経つほどにじんわりと浸みこんでいって、その為に別れの意識すらもどれほど軽くなったか今の私にはわからない。
ここ数ヶ月、右と左に決別したまま私よりも泣いたり私よりも凍りついたりしていたアナタとも、久しぶりに向かい合えたような気がする。
よかったね。
あなたもよかったね、私も。よかったよね。
この人に、いまこの時に逢うことができてよかったね。
早過ぎも遅過ぎもしない、まさにあの時にその二秒をもらうことができて、あなたにも私にも、ほんとうによかった。
重なり合う時間が短くてもその時にその人が必要としているものを与える役目が課せられて出逢うようになっているのなら、私も誰かが必要な時に必要なものを自分でも知らないうちにその人の掌に投げ入れることができただろうか。もし一度でもそんなことがあったなら、私には生まれてきた意味もあったのだと思う。
けれども。
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2005.02.11.20:55
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