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山と波と谷
自分で自分の弁護なんかできないのならそれが一番シアワセかもしれない。
自分のことを常に肯定してくれる存在とゆーものが、欲しくて欲しくてしょーがないネ!その存在の意義を「自己の絶対的な肯定」と定めたのがここ数年にしても、子どもの頃から自分はずっと、そーゆーものを求めていた。
何も言わなくても自分の意地と見栄の裏側を見抜いて、それを微笑んで許してくれる。困ったもんだと、思いながらも微笑んで許してくれる。そんなのが小学生の唱える理想かよ。
理屈だよね。
やっぱり私は壊したかったのかもしれない。
そういう肯定を互いにやっている彼らが羨ましかったんで、壊したかったんだと。だけど自分がそのせいで悪者のレッテルを貼られるリスクは避けたかったので、強硬に固めた。声高に叫んだ。「やめようね?」「駄目だよね?」
2004.11.27.23:47 | トラックバック (0) |
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