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先日、何かを読んでいて。
あ、桜の根元に屍体説の原点はこれなのね。
と思ったのだけど、それが何だったのか忘れてしまった。
そう思ったからには、基次郎より朔太郎より安吾よりも(以上、順不同)古いものであろう、つーことだけは確かなのだけど。
最近読んだ上記三人より古い本といえば、松谷みよ子の「現代民話考」(←まぁ、考えようによっては内容が古い。)と「画図百鬼夜行」(←読んだ、っつーか。)と福永武彦訳の「今昔物語」くらいなのだが。
ああ、他にもあるかもしれないわからない。ここ数週間は茨木がらみで妖怪モノを漁りまくっていたからわからない。「大英博物館所蔵浮世絵名作展図録」なんかも見たからますますわからない。
Read More... もやもやしながら本棚の前で立ち枯れていて気が付いた。
八雲の「怪談・奇談」内の「十六桜」、ですな!そうです、これこれ。これを読んで「桜に屍体説の原点見つけたり!」と思ったんでした。もっと古いかと思っていたけれど、成立年代は結構ギリギリな。しかも読み返してみれば、別に屍体なんて埋めちゃいないしね!ちょっと参ったね!
しかし桜に屍体説、というのはやはし画期的だったのでしょうかね。ポスト基次郎世代の私の頭には、物心ついた時既に「桜には屍体」、「桜の肥料といえば屍体」、「嫌いなアイツを埋めて咲かそう綺麗な桜」等々の標語(違)が刷り込まれていたので、日本人ならば誰でもそう思ってしまうだろう、ような気もちょっとし。それが傲慢なのかはわからじ。
基次郎以前ではどうだったのでしょう。つーのがイマイチわからんのですけど。基次郎を境に、桜と屍体の関係はどう変わったのか変わらないのか。それとも基次郎以前に於いては、この両者は全くの無関係であったのかどうなのか。
それはさておいても、文学史上最強の桜を書いたのはやはし安吾でしょうね。自分的。もうこれは突き抜けて安吾でしょうね。
最近よく本を語っている。自分。
自制します。
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2003.05.15.23:45
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