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さて姉上
葛藤して逡巡して。
渇望をおさえつけて。
そんなふうにして毎日を過ごす。
懸命に見極めようとする。
あまりに何もかもに止められて、誰もかもに進むなと言われて、たまに誰かが、走ってみなさい、と言ってくれても、その裏に何か真意があるようで、私がそうであってほしいと感じているのとはまた別の意味でそれを言っているのではないかと疑って、やっぱり走り出す気にはもうなれない。
走りたいと思うけれども。
走る自分を思い浮かべてもみるけれども。
Read More... これが執着なのかただ純粋に思慕であるのか、見極めようとしている。
過大評価ではないのか、そう疑った瞬間に過小評価にはならないか。
誠実な気持ちで走ろうとするのか。それともただ目の前に他に道が無いから、分岐点に出逢いたくて、先を急ぐだけなのか。
嫌われるのは厭だ。
気味悪がられるのは、もっと厭だ。
走りなさいと言ってくれる時もある。
走った先に何か素晴らしい変化と安定があるようなことを言ってくれる時もある。けれどそれを、素直に良い方向への指針とは受け取れない。その一歩手前に終着点があって、それにより生まれるその後の変化であり安定であるのではないかと思う。そんなふうにしか考えられない。
そんなふうに考えて、自分の甘えを糾そうとしている。
わからない。
ひとつき半あるのだから、その間にゆっくり気の済むまで考えればいいかもしれない。もしかしたらばその頃はもう走る気力も失せているかもしれない。今より少しは事の輪郭が見えてきているかもしれない。
そこでもしまだ走りたかったらば走ればいい。
と、思う。
よくわからない。
自分に何もわかっていないのがとても不安で、懸命に見極めようとするけれども顔の両側に覆いでもかけられたように見える範囲は限られていて、何もわからない。掴めない。走り出してみないと、わからないのか。と思って、それが自分へのエクスキューズにすぎないことを感じる。そんなふうに理由をつけて、走りたいだけなのだと感じる。わからなければいけない。知らなければいけない。何もかもわかった上で、その上で、走るのか走らないのか、決めなければいけない。
わからなければいけない。
今までならば、わからないまでも走り出すことができた。今はできない。自分が走り出したらばどこを通過するのか、どこに辿り着くのか、知らなければ走れない。知ることなんて不可能かもしれない。けれど知りたい。知らなければいけない。不可能かもしれない。
嫌われたくない。
気味悪がられるのも厭。
けれど心は走りたがる。
病的?
わからない。
自分を見失っていませんか、と指針が尋ねる。
執着と恋情を間違えていませんか。本当にそれは必要なものですか。理想化しすぎていませんか。卑屈になっていませんか。自分の進みたい道が見えていますか。
降るような指摘にいちいち足をとられる。そうかもしれない。そうなのかもしれない。そうであるような気がする。わからない。私にはわからない、私のことなのにわからない。
誰かが宣告してくれたらばいい。それは執着です。と。
私にはわからないだけ。
わからないから走るのも、言い訳のようで見苦しく感じる。
本当は走るのが怖いだけなのかもしれない。
わからない。
わからない。
どうしよう。
明け方の夢に、今日はメグミさんが初めて出てきて、すぐそこで講義をしているのに私は眠くて起きることができない。一度だけ意識がはっきりと戻って、あぁ、メグミさんだ、何故いるの、何故今頃いるのだろう、と思うのだけれど、やっぱり起きあがることはできなくて、二転三転寝返りを打って、眠り続ける。演壇の上に置かれたローマ字の名札の中の、本来ならばあるはずのないYの字が記憶に残った。そんな夢だった。
私が私を抱きしめているのは、慰めてくれているのか、それとも捕まえているのか。
どちらなの。
わからない。
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2004.12.10.18:04
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