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今月の言い訳
いろんな人の、本音本性敵意が剥き出しで、イヤな世界だ。
自分もそういうものをだらだらと流してきた。
本来ならば人知れず日記でも書くようなものが、人知れず書いてもここでは人の目に触れている。そのことを自分も意識する。自分の本音が人の目に触れることに慣れる。そうして、それでも誰も傷つかないような錯覚を抱く。
三次元で本音を撒き散らし始める。
目の前で人が傷つく。
何かオカシイよ。
Read More... アレです。さながら、
映画の中で俳優さんがぽつりと語り始める子供の頃のトラウマです。
親に折檻されたとか、ペットが死んだとかペットをを殺したとか、エトセトラ。
「あ、そゆの私もあるある」と。
そして自分が特別なような。
そんなトラウマは誰にだってあるもんでしょ。
「自分」が特別なんじゃないでしょ。
自分を「特別」にしたいだけでしょ。
「自分」が理解されないんじゃないでしょ。
誰も誰のことも「理解」なんてしてないでしょ。
自分が理解されてないと嘆く。
じゃあ自分は、誰のことを理解してあげてるの。
自分は何もしてあげられないのに、自分が何もされない時ばかり泣くの?
そういうのは、卑怯なんじゃないの。
卑屈なんじゃないの。
子供なんじゃないの。
いつも笑ってる人はシアワセで、泣いている人はフコウなんですか。
怒ってばかりいたらば、ひとりの時でもやっぱり怒っているのだと思いますか。
殻の内側にあるものを、垣間見ようとしないのは自分もでしょう?
彼らだけじゃないでしょう?
負担かもしれない。
だけどその中に真情のあることを、考えたこともないでしょう。
自分のことで精一杯かもしれない。
それをブラインドのイイワケにしたらいけない。
自分で「自分に足りない」と思うものと、本当に足りていないものが一致するとは限らない。
詭弁に誤魔化されたらいけない。
自分のことは自分で決めるがいい。
できないことをいちいち嘆くのは、鬱陶しい。
座り込む前に、一歩でも歩いたら。
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2004.10.08.20:07
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