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わかる自分とわからない自分
如何に困難か気づきもしない天才、
で、ありたいと願いつつ、
如何なる事も困難な凡才、でありながらそれを乗り越えられる凡才。
でありたいと人は願う。
かどうか知らない。
私は、盆栽組なのだろーか。
天災組でないことは確かだけれども、果たして私の属する盆栽は困難に立ち向かう盆栽であろーか。困難に立ち向かい乗り越えられる盆栽であろーか。困難に立ち向かい敗れ去る盆栽であろーか。困難を見上げて、へたれこんでいる盆栽であろーか。困難と反対の空向いて韜晦している盆栽であろーか。
Read More... 韜晦するほどの中身があるならば盆栽と言わずもがな。
なんだかよくわからんのだけども、自分が時々とても冷酷になる瞬間というのがあるのは、厭だね。
故意ではないし傷つけたいわけでもないのに、さくっと人を斬り捨てている自分がいる。返り血を浴びて初めてそれに気づく。ああ、やってしまった。そんなふうに思う。
小豆。
小豆だった。
渋いようなひねたような。
君が戻った時、僕ぁすごく厭だったんだ。
ケリをつけたと思っていたのに、何で今更どのツラさげて現れたのかわからなかった。さっと逃げ出してトイレに行ってぐだぐだ泣いた。
人生というのがきびしいんではなくて、世の中というのがきびしいんだよね。いつまでも泣いていられる場所も時間も与えられていなかったから、結局はまた人前に出て行かなくちゃいけない。自分が永遠に座り込める場所を確保したいなら、空高くのぼるか、土深く潜るかだ。
自分ですぱすぱ道を断ってしまうひとたち、今はどこに居るのだろう。
迷走を続けてふらふらの我が身。過去は勝手に切り離されて、
ゆく。
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2004.03.27.19:51
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