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ゆがめてまで
常識とゆー世間のルールを逆手に取って、ねじ伏せてまで、ワタシは ?
誰にでも笑う。誰にでも触れる。触れぬようにせずに、わざと触れて余韻を残し、誰にでも最後の一瞥をくれて、そうだあれはルールだ、 という名のルールだ、誰に対してもあの人はそうなのだ。
と、言い聞かせながら一方で半身が、会いたくて仕方なく、体を折りたたんで息を吐いている。こんなんならココロなんて無い方が良い、どんなに楽かしれない、と嘆きながら息を吐く。
それでも、どうせ消えていくのだから、この水に浸っていれば負ったばかりの傷は癒えるのだろうか? わたしは? わたしは、わたしは。
Read More... 誰にでも笑って、誰のことも歓迎して、誰にでも触れ、誰にも、あの一瞥をくれるのか。くれるのだ。それをゆがめてまで、ワタシはしがみつく必要があるのだろうか。そんなに、目をそらしたい方の傷は深いのだろうか。
いや、それは関係ないのか。
針が振り切って何か切れてしまったようで、振り切られた反動で必要以上にがりがり抉るようにしてココロに食い入っているのだろうか、それ。
いつまでも中学生みたいに、どうしようもないことで煩悶して逡巡して、けれど会いたいただそれだけでフラフラ出かけて行くほどにもう子供でもなし、名前さんの時のように感情だけに突き動かされていたような直情型の生き方ももうできずに。
誰にでも。
それは常識とゆー名のルールだ。
という名の縛りだ。
だから君が特別だったんではない。
だから、君は、泣かなくていいんだよ。
会いたいとか、もっと重いものを見ないための方言の一種だよ。
だから、
顔も思い出せないのになぜか夢にみて、夢のなかでは鮮明に同じ顔を何度も繰り返し、なぜそこで笑った?なぜあの時にあの人は笑った。そこで笑えたこと自体が、浅薄の証ではないのか。
なぜとか、どうとか、意味を見いだそうとするから苦しい。
それがルールなので笑った。
だから、それでいいじゃないか。
だから泣かないで。
だから、考えずにいて。
思い出さないで。
忘れてしまってくれ。わたしの ために。
あの顔を。
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2012.08.21.19:33
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