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潔心
Love yourself.
Love yourself.
Love yourself.
僕は、君のことを好きではない。
否。僕は君のことがとても好きだ。
否。僕は君の人格を好きではない。
否。僕は君の人格を把握していない。
僕はナゼ僕が君に固執するのかわからない。
とにかく僕は君が好きだ。とても。
Read More... という文章の自分の内における信憑性を確かめるには、「好き」の定義をしなければいけない。私ときたら、いつもこれだ。何かを唱えているうちに、何かを解剖しているうちに、そのものの正体がわからなくなるのだ。
たぶん、こっちに触れたと同時に正反対にも触れうるものなのだわ。好き、だとしか言えない感情よりも、好きである、うんにゃ、僕は君を憎む!と言い切れる感情は良いね。
だからもう×年も昔から、君は僕に言葉と同じほど大事だったのだ。同じほど深く、同じほど高く、上にも下にも君の占めている範囲は広かったのだ。すきなだけすきだったし、にくむほどににくかった。
嫌いだった。厭だった。手に負えないのが悔しかっただけではなくて、自分のドメインをそんなに大量に明け渡しているのが厭だったのだ。
わかる?
私はもう何年、
断ち切って御覧、と誰か刃を渡してくれるのならば、切るだけ切って、気の済むまで切って、細切れにしてからその破片にうずもって、
泣くか笑うかできるだろう。悔やむのも解放を喜ぶのもいいだろう。かき集めるかもしれないし、まき散らすのかもしれない。順繰りに全てを為すのも良いし、一時に全てを為すのも良いし。
そんなものを駆使してそんなものを無駄に吐き出してきたのか。
あれもこれもそれも、君も貴方もあの人もその人も彼の人も、名前も、名前も名前も名前も名前も名前は、何もかもが、貴方だった、 。
何もかもが貴方だ。
でもね。
でもねー。
何書こうとしてたか忘れちった。
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2003.05.15.21:14
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…思い出したよ。
僕は君の人格をケーベツしつつ何でこんなに以下略。
君がたぶんそこまで君自身のことを愛!しているであろうたぶん、な事実がミリキ的なのだね!たぶん!君が僕の逆立ちしてもできないであろう、絶対的な自己肯定、っつーことをたぶん何の困難も無しに為し得ているからたぶん。
てゆーかそんなことわかんないけど。
でもねぇ。なんて言うか、シアワセそうだよね。
てゆーかもしかしてそれって私の作った君像かもしれないけどね。
君にお仕着せた理想像かもしれないけどね。
てゆーかたぶんそうだけどね。
2003.05.15.22:03
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先日、何かを読んでいて。
あ、桜の根元に屍体説の原点はこれなのね。
と思ったのだけど、それが何だったのか忘れてしまった。
そう思ったからには、基次郎より朔太郎より安吾よりも(以上、順不同)古いものであろう、つーことだけは確かなのだけど。
最近読んだ上記三人より古い本といえば、松谷みよ子の「現代民話考」(←まぁ、考えようによっては内容が古い。)と「画図百鬼夜行」(←読んだ、っつーか。)と福永武彦訳の「今昔物語」くらいなのだが。
ああ、他にもあるかもしれないわからない。ここ数週間は茨木がらみで妖怪モノを漁りまくっていたからわからない。「大英博物館所蔵浮世絵名作展図録」なんかも見たからますますわからない。
Read More... もやもやしながら本棚の前で立ち枯れていて気が付いた。
八雲の「怪談・奇談」内の「十六桜」、ですな!そうです、これこれ。これを読んで「桜に屍体説の原点見つけたり!」と思ったんでした。もっと古いかと思っていたけれど、成立年代は結構ギリギリな。しかも読み返してみれば、別に屍体なんて埋めちゃいないしね!ちょっと参ったね!
しかし桜に屍体説、というのはやはし画期的だったのでしょうかね。ポスト基次郎世代の私の頭には、物心ついた時既に「桜には屍体」、「桜の肥料といえば屍体」、「嫌いなアイツを埋めて咲かそう綺麗な桜」等々の標語(違)が刷り込まれていたので、日本人ならば誰でもそう思ってしまうだろう、ような気もちょっとし。それが傲慢なのかはわからじ。
基次郎以前ではどうだったのでしょう。つーのがイマイチわからんのですけど。基次郎を境に、桜と屍体の関係はどう変わったのか変わらないのか。それとも基次郎以前に於いては、この両者は全くの無関係であったのかどうなのか。
それはさておいても、文学史上最強の桜を書いたのはやはし安吾でしょうね。自分的。もうこれは突き抜けて安吾でしょうね。
最近よく本を語っている。自分。
自制します。
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2003.05.15.23:45
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