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よるのやま

 この山はいつも夜に覆われているんだ。
 山の頂きの小さな家の中では老女と少女が向き合って、女の化け物が自分達を喰らいに来るのを、ただただじっと待っているんだって。

 髪の長い女は、山の中腹にぽっかりあいた、あまり奥は深くない洞窟の中に棲んでいる。いつもふわふわと軽い布地の白い着物で、その肌は光るように青白くって。洞窟の中は夏でも羽根のような雪が深く積もり、ずぶずぶと足を呑む。その下にある岩に足をとられないように歩くのは、誰の考えているよりずっと大変なんだ。

 私は天から降ってきた。
 洞窟の上に開いた穴を突き抜けて、雪の上に落ちた。雪が私を受け止めて、層を伝わった波動の先で、女がゆらりと身を起こしたら、目が合った。

 汚れのない木の果実

 を、差し出して、いつものように女に勧めると、その日に限って女は仕方のなさそうな顔をして、黙ってそれを拒絶する。少し微笑んだ。受け取らないのなら投げ出して、「そんなものおいしいの?」と尋ねると、女はまた少し笑って、

 「しゃぼんの味がする」

 それは不味いね、じゃあ本当は何を食べて生きているの

 女が表情をかえないままで、仕方のないような顔で少し微笑んだままで、けれど私のその問いを待っていたように、目だけが急に真剣な色を帯びて、

 あたしはニンゲンを喰らうんだ

 眸がそう言った。恐ろしい色でそう言った。
 私は思わずあとじさり、駄目だよ、駄目だ、あんたはそんなこと、今まであんたを訪ねてやった私を喰おうとなんて考えちゃいけない

 (他の人間なら喰ってもいい?)

 わからない、とにかく私は駄目だよ、だって訪ねてきてあげたんだから、

 (あの、あたしの後ろの雪の中にはね、あんたの恋人が埋まってるんだ、あたしあいつを喰っちまうよ、だってあんたの持ってくるものはどれでもしゃぼんの味がするんだ、口の中がねちゃねちゃになるんだ、だからあたしあいつを喰っちまうよ、あんたの恋人だけど、ばりばり、喰っちまうけど、いいだろうか?)

 私の恋人。誰。埋まってるんじゃ顔が見えやしない。洞窟の奥は深い闇、ただ雪がうねうねと、切り取った波みたいに白く続くだけ。
 そう。いいや、駄目だよあの人は、あんたはあの人を喰らってはいけないんだ。あんたはあの人を私のとこに届けておいで。私はこの山をのぼったところで待っているから。

 途中に池があるから、そこに石を落として行こうよ

 あの池は駄目だ。あの池には死人が沈んでる。石なんて落としたら、浮かんでこれなくなっちまうよ。私、山の上の家で待っている。だからあんたは真夜中近く、あの人を私に届けておいでよ。

 そうしたら鍵をしめるんだろ、あたしを家に入れてくれないんだ、あんたはあたしを怖いんだ。

 鍵なんて、しめても無駄だよ、扉がいかれているからさ

 女の声、私の声、女の声、私の声、私の声、私の声、私の声。
 どうして平気でいられるの、どうして何も言わないの。
 女の声、異形の声、外から聞こえてくる夜の声。

 あたしはあんたなんて喰うもんか、あたしは人間を喰らうんだ、あんたは人間じゃないよ、あんたは亡霊だよ、あんたは死んでるんだ、あたしはあんたなんて喰うもんか

 淋しい色で、夜はこわばって、ますます深い闇に溶ける。

 あんたは死んでるんだ、あんたの恋人だって死んでるよ、もうとっくだよ。

[2001/5/7 (Mon)]

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