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酷捨

 砂漠の真ん中に、くたりと傾いていたのが船の残骸ならば、それは何処にでもある先史時代の腐れ遺物として、気にもとめなかったでしょうけれど、私は。
 砂漠の真ん中に、くたりと傾いていたのは、一本の痩せこけた樹、その姿。
 気力の如何によっては助けてやっても良かったけれど、どっちみち私も、そこへたどり着いた時には死に損ないの、半死半生だった。

  や、お嬢さん。御機嫌如何。

 ぶるぶると、乾き果てた枝震わせて、樹は言った。
 私の上に影つくるほどの径も無くして、触れた先から風化しそうに、見るからにもろい、まるで数千年ぶりに掘り起こされたファラオの遺骨のような、枝。

  お嬢さん、水をお持ちでは、あるまいな、まさか。

 いいえ御免なさい持っていません、私の、身体にはもはや、水らしいものと言えば血が残るだけ。老廃物だらけのどろどろの、浄化されない血が残るだけ。これが永遠に身体の中を巡り続くだけ。私が呼吸を止めるまで。
 私はもうすぐ呼吸を止める。
 そうしたら貴方、私の身体を開いてこの血を、お摂りになっても良いですよ。
 私がもうすぐ呼吸を止めたら。

  いけませんね、お嬢さん。
  老廃物だらけのどろどろの、そんな血ですら意味はあります。
  そんな血ですら私を生かす。貴女が呼吸を続けるうちは。
  貴女が呼吸をお止めになって、それから摂っても役には立たぬ。
  息繋ぐうちに、くださりませな。

 まるで老人の、指のようにその枝震わせながら、樹は言った。
 そうだ、どうせ私もこの樹も死に損ない。私がほんの数秒早く、この血を明け渡してやったところで、私に何の嘆きがあろうか。この樹に何の得があろうか。
 そうだ。どうせ私もこの樹も、死に損ない。
 私がほんの数秒早く、この血を彼に譲ったところで、私に何の嘆きもあるまい。
 視界はゆらゆら。
 足元の砂地からは湯気たちのぼり、私は最期を目の前に見て、考える。

 もし、けれど貴方が。
 私と同じほど無意味な生命に見える貴方が。
 私と同じほど死に損ないに生きる貴方が。
 私の血によりもしもそのまま、動くこともなくその枯れ木の姿で生き長らえたら、私の血によりそのままの姿であと何年も生き延びるのなら。

 私は私の血を、譲れない。
 私は私の、心臓が最後の一押しを絞り出すまで、私の身体から一滴たりとも、血を譲れない。

 樹は語らない。
 たまに痩せこけた枝震わせて、ぶるるぶるると、吹き上げられた砂を落とすだけ。
 根元から僅かに残った水を吸い上げるように、ごぼりごぼりと、不快な音をたてるだけ。

 サヨナラ枯れ木。

 別れを告げた。
 ひとすじ泣いた。それから笑った。
 狂女のように。

[2003/5/27 (Tue)]

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