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かのヲトコ、丸い瞳で物を言ふ。

 君はもうあの時とは違う人間に戻っている。

 とまず言い、それから。

 いや、戻る、というのが正しい言葉か僕は知らない。
 どちらが真実の君に近いのか僕は知らない。
 立場だの名前だのの身上に、縛られていなかった分だけでも、あの時の君が今の君よりも真実に近いかもしれない。真実という言葉は正しくはないのかもしれない。理性をかなぐり捨てた、ただそれだけの姿であったかもしれない。僕はそれを知らない。

 と説明くさいことを言い、それから。

 どちらにしても君はもはやあの時の君ではない。
 彼しか頼る人間のいなかったあの時の君とは違う。
 君は金で自分の記憶を買うつもりか。

 と幾分キツイ口調で言い、それから。

 忘れてしまった、のだと。それが普通でしょう、だとか言ったようだったが(いっそ聞き間違いであれば良かったと思うけれども)、君は忘れてはいない。君が送った日々は確かに今も君の頭の中にある。意識して思い出さないのか、無意識のうちにしまいこんだのか、それは僕の知るところではないが。どちらにせよ、その記憶は君の意識の手の届くところだ。君が、自分で捜し出せ。金で僕が与えるのでは意味がない、たとえそれが真実であろうと、虚構であろうと、だ。わかるか。

 諭すように目を反らさずに言い、それから。

 真実は畏れなくとも其処にある。
 他人から与えられるのでは意味がない。
 真実は隠れてはいない、在るところには必ず在る。
 ほんとうに知りたいと思うなら、自分の足で、探し出せ。
 僕は金を受け取れない。

 駄目押しをするように言い、それから。

 真実は酒浸りこそしないものの、荒れているよ。
 君を畏れている。自分から寄りつきはしないだろうね、だから。

 だから君が探しに行くんだ。
 縁があるなら再び出逢えるだろう、見つけることができなければ縁がなかったと諦めてしまうのが良い。

 少し微笑んだ。それから。

 彼はまだ君の掌中にがっちり掴まれたままで気の毒だ。
 皮肉なことに、君には彼の輪郭すらも今では見えていない。

 ああ、勿体ない。後ろで別の男がそう言った。

 スィーナリィ、ゼロ。
 ブランを遡る足元。
 渡された鍵の一束だけが頼りの捜索。

[2003/4/16 (Wed)]

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