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彼女と生け贄

  もうだいぶ落ち続けている
  僕はそろそろ君を好いてくる
  僕は君のため贄になってよいかとも思う

 天の穴のふちに立った彼女、を僕ら世界中は取り巻いていた。
 彼女は気が触れたのだ。
 と、みなは口々に言ったけど。
 天の穴のふちに立った彼女、

  わたしがあなた方を救います!
  わたしはあなた方のことを知りません!
  けれどわたしはあなた方を救います!
  あなた方も私のことなんて知りません!
  あなた方は私のことなんてかまわずにこれからも生くでしょう!
  けれどそのあなた方のこの先の一日一日、そこにシアワセの息もつかぬほどぎゅうぎゅうに満ちたりていること、それを私が誓います!
  私はそのためにこの穴へ落ちるのです!

 天の穴のふちで彼女は叫ぶのだ。
 僕たち世界中はなんだかもうわからないまま、なんだかもうなんだろう、よくわからないけどシアワセか!シアワセならばそれは素晴らしい、と、思って、カーッとなってしまったのだ。カーッ、と。あの彼女、誰だか知らないけれどあの彼女、あの子ひとりがぽろっとそこに落っこちて、それで僕らがシアワセになれるのならばそれは素晴らしい!

  いいぞ!落ちろ!

 と、僕らは叫んだ。
 (言っとくが僕は叫ばなかった。)
 僕らは叫んだ。
 (しつこいが僕は叫ばなかった。)

 彼女はいよいよ僕らに背をむけて、

  それじゃみなさん、サヨウナラ!
  きっとみなさんをシアワセにします!

  でもその前に
  行く前に
  贄をください、私に贄を。
  私と引きずり込まれてくれる、
  贄をください、ただひとり。

 残る者には一生浸り切れぬほどのシアワセを、けれど私と共にゆくただ一人の生け贄を、それが彼女の言い分だった。世界中はシアワセになればよい、私と共にただひとり、不幸に引きずり込まれる贄をくれ、と。

 僕は偶然、誰かに押された。
 (誓って言うが偶然だった。)
 よろけた途端に、誰もが僕に道を開いた。
 (しつこいようだが偶然だった。)

 彼女はすかさず僕をつかんで、一緒に穴へ転がり落ちた。


 僕らはだいぶ落ち続けている。
 恐ろしい光景をくぐり抜けながら、僕らはだいぶ落ち続けている。
 彼女は口をきかないけれど、目を開けるのに疲れた時は僕らは腕を組み合って眠る。
 闇を見るのに疲れた時は僕らは肩を寄せ合って眠る。
 僕らはだいぶ落ち続けている。

 あの人たちを、許そうと思う。

[2003/3/10 (Mon)]

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