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7A棟

 白い壁にがりがりと、傷つけて、人工板にも、しゅるしゅると、細い痕残して。ビニールだからよく切れる、などと言う。膜が剥げたら樹脂が覗くだけ。下の夜景は美しくもなく、白いだけ。

 男の人は懸命に壁削る。
 私は何も言わずにただ眺める。
 たまに顔をそらして、下の方の夜景を見る。白いだけの夜景を見る。無機質に白い灯りがともる。たまさか、脱走人を追い立てる紅いランプがちかちか走る。
 首傾けて、上を見る。

  此処から星は見えないようです
  黒いばかりの、黒いばかりの空があります

 男の人は腕を休めない。腕を休めないけれど顔もこちらに向けてくれずに、がりがり白い壁削り、しゅるしゅるビニールの木目を削り、合間合間にぽつぽつと、言う。

  それは空では、ありませんそれは、地肌、黒土の、地肌です、何故なら空は
  空は高いから
  空が高いので、私達はひねくれて、こんなに深く潜ってしまった、空が高いので
  縦穴だから
  縦穴なので、此処は縦穴でもだいぶ壁に近い、近いから、星が見たいのならば屋上に、屋上まで長い長い階段を のぼって 首を真っ直ぐ曲げないと、貴女のいるところからじゃ例え、硝子にへばりついても、星は、見えません

 がりがり、骨でも削るような音がして足元にぱらぱらと粉が落ち、しゅるしゅる、カテーテル裂くような音がして足元に、てふてふと破片が曲がる。男の人は随分必死になっている。
 無駄だと知れても私は、硝子に掌も頬もぴたりとつけて、ぎょろんと眸を上に向けてみるけれども、土より黒い闇ばかり見えて、

  あれを、見える、と言うものかしら

 がりがり、しゅるしゅる、男の人の汗がたまに数滴、気が付いたように、ぱたぱたと落ちて。

  ねえ、壁は、もう放っておいて、

 私の正面に座ってくれませんか…
 とは、言えず。
 壁を削るのは、男の人の生きていく糧なので、それを私は止めることはできないのだった。足元に落ちている壁の残骸、集めて持ち帰るのが男の人の報酬だった。私は壁が突き抜けてしまった時の為、隣りに座って待っている。壁が突き抜けてしまった時に、私が向こう側へ渡る為、隣りでぼけっと待っている。

 がりがり、しゅるしゅる、ぱたぱた、ぼけら。

 少し曇った硝子をなぞる。きゅう、と小さく硝子が唸る。無機質に白い、圧し迫り黒い、此処から星は臨めない。

  ねぇ三秒でいい、壁を放って、

 私の前に座りませんか
 私の 前に。

 ばらばらと、外では土が崩れ始める。

[2003/4/3 (Thu)]

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