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父の顔

 鎌が、肩を割いた。
 倒れ込みながらも女は思う。
 解かれた帯を強く引かれ、前に足を出すことが叶わない。
 左胸が、焼けるように熱い。

 女は思う。

 ああ、いやだ。
 これだから男は性質が悪い。
 逃げるの死ぬのと勝手なことばかり。
 挙げ句の果てには、私ばかりを殺めんと。

 振袖に散った鮮やかな血は、水面を滑る楓の落葉のようでもあり。
 まだ面倒なことなど何も持ち上がってはいなかった、穏やかな秋の日が脳裏を過る。

 あれから、父が死んだ。
 父を斬った男は彼女の褥を訪れる。
 腹には彼の子が宿った。

 男を見初めたのが彼女の方だと知った時、母は泣き崩れ、恨みつらみをただ愚痴重ねた。
 親を討った男とそれを承知で恋に落ち、その赤ん坊を宿すなどということは、老母の理解をこえていた。

 男はいやだ。
 女はいやだ。
 この世間そのものが、私にはいやだ。

 髪の毛を捕らえられて、また一抉り。

 苦痛に身をかがめ、膝をついた。
 細かな砂地に指が潜り、口の端から落ちる鮮血は、次々と吸い込まれ消えて行く。
 じわりと湿った夏の河原には、一面に螢が飛び交っていた。
 悲しいほどに美しい。
 右へ左へと幽かな螢火が彷徨う様はまさしく、迷い続ける人魂のように思えた。
 
 刹那、その場に立ち尽くす。
 
 川辺に打ち上げられた、父の髑髏。
 男が叩き折った卒塔婆。
 黒い川の水面に浮かび上がる己の容姿は、二目と見られぬ醜悪な。

 美しかったあの顔が。

 なぜわたくしばかりをお責めになりますのか、父上。

 なぜわたくしを連れていってはくださらぬか。

 父上。若き日に此の頬を打たれた貴方を、私が今さら恋しがっているとでもお思いなのか。娘よりも弟を愛でられた貴方を、懐かしみ涙する時がわたくしにあるとお思いか。
 なぜ恋までも奪っていくのです。
 父上。

 男は、ああ、なんと勝手な生き物であることか。

 鎌を手に、背後から掴みかかる男を振り向けば、女の形相の凄まじさに彼は顔をそむけ。
 女の肩には死んだ父親が取り憑いている。

 重い。

 骨張ったその指が、伐られた傷にぎりとくいこむ。
 痛い。

 止めどなく流れ落ちる鮮血は、ひたひたと河原の砂地に吸われ。
 その砂の上では父の髑髏が、夜闇よりもまだ黒い二つの虚ろな眼孔をこちらに向けて。
 嗤っているのだ、自分のことを嗤っているのに違い無い。
 
 それ見たことか、あれが親の仇と添い遂げようとした娘。
 顔は崩れて死物狂い。

 かたかたと、髑髏の歯が打ち合う音が、鼓膜を破らんばかりに響く。
 人でなし。
 やめろやめろ嗤うのをやめろ、何が悪い。何が悪いのだ。 

 死んでくれ死んでくれと、後ろで男は子供のように、がむしゃらに鎌を振り回す。
 ならばそなたも死ねばよい。
 これだから武士は、侍は始末が悪い。男は始末が悪い。

 男の一振りが、胸を突いた。
 熱いものがどくどくと流れ出る。息をしようとするだけで激痛が走る。
 悲鳴すら口をつかなかった。
 とうに紅の落ちた唇は再度鮮血に染まり、目を見開いたままで、倒れ込むのももどかしいように絶命した。

 足早に立ち去ろうとする男。
 返り血を浴びた己が肌を隠すように筵を被り、砂を蹴って行く。

 逃すか。
 重なる父の姿。
 転倒した私を返り見もせずに、歩いて行ってしまう後ろ姿。

 既に呼吸の止まった女の腕が、つと持ち上がり。
 足早に遠ざかる男の姿を指差し、手招いた。

Inspired by:『累』

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