灰と花びら
降りしきる花片は、まるで雪のようだ。
春という季節の頂点で、私は息をつなぐだけで精一杯だった。
はっと呼吸を一つ飲み込めば、躰の下に降り積もった花片の層に、ずぶりと沈む。
声すらも呑まれて行く静寂の中で、私は独り、場違いな灰色の余韻を引いていた。
冷えた頬に、また花片が降りる。
柔らかな軽さを感じる間もなく、それは異郷のものを避けるかのように、悲しく肌を滑って落ちた。
色の付けられた非日常。
もう永遠に、この瞳は白を取り戻し得ない。
降りしきる花片は、二度とあの日を蘇らせはしなかった。
*
春の空気は、緩慢で汚れきっている
そう教えたのは、雪の中で出逢った獣。
眼が痛くなるほど白い、白い毛皮を持ったそれが、黄金色の視線を落としながら言う言葉に、私は頷くしかなかった。
春の獣は逃げることしか知らぬ
貴方はそんなものと慣れ合ってはいけない
春。
その言葉を、幾度も耳にした。
何故いけないの。
みな、春は良い時節だと云うのに。
駄々をこねる私を、獣は円い瞳で見つめ、くるりと後ろを向いて去った。
長い尾が、くらりくらりとその先端で、時折、雪の上に軌道を残す。
嗚呼…、
ごめんなさい。
そう呼びかけた声は、舞い降りる雪片の狭間へ消えた。
私は、冬の子供だった。
銀の毛皮を持った二の獣が、足下をぐるぐると回りながら云う。
熱に浮かされてはならぬのだ
熱。
それは何か。
体温を持たぬ肌に、熱が宿れば如何とす。
獣は毛皮を巻き付ける。
長く細かな冷たい質感が、するりと肌を撫でた。
春の獣は、ゆるゆると生き
夏の獣は、刹那を焼き尽くす
秋の獣は、果て逝くのみ
では、冬は。
我々は。
銀の背をうねらせて、獣は一歩、飛びすさる。
挑みかかるように頭部を雪の表に寄せて、それは、きりりと瞳を細めた。
我々は四季の中でも、格を隔て在る
冬の獣は巡り生く
巡り生く
永久に
トコシエニ
思わず繰り返した唇を、さっと横切る真空の爪跡。
流れ出るものは何もない。
貴方には、血は通わない
私には、血は通わない。
私は冬の子供なのだから。
けれど私は、春の中に在ってみたかった。
*
降りしきる花片が、またひとつ。
色のついた世界。
色に霞む景色。
萩が揺れている。
空気が光る。
風の粒子が見えた。
このように美しいものを、私は見たことがなかった。
それの儚さなど、微塵も心得てはいなかった。
私はその中で、ただ夢中で、笑い、飛び跳ね、そうして、果てて逝った。
その春という季節に、ただただ、夢中になっていた。
これが永遠に続くものなのだと誤って、そうして、果てた。
倒れ臥した体は、それでもまだ、冬の色に変わりは無く。
耳元で囁く声を聴く。
春の空気は緩慢すぎる
貴方は来るのが早すぎた
白い、それは陽の光。
巡り生く
その流れをかき乱しては
銀の、水を行く魚の腹。
何かが腕に、脚にと、からみつく。
血の通わない、冷えた指先をからめとる。
視線だけを動かしてそれを追えば、身体をわらわらと包んでいくのは、木の根であった。
包む。否、縛り込む。
つくづく、禁忌を犯すのを好まれる…
耳元で獣がそう嘲るのを、私は微かに聞き取った。
*
春は時として、二度と戻らない
けれど冬は、必ず貴方へ舞い戻る
私は冬の子供。
春の中で、永遠にその呼吸を、時を、止め得て果てた。
| 2000 / オハナシ |