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mortuary / 霊安室

 貴方が死んでから一度だけ、私はあの暗い家の中で貴方と二人きりになる機会があった。
 誰もが通夜の準備にばたばたしていて、出払って、私が留守を任された。
 貴方は貴方の父上の布団に寝かされて、私は同じ部屋の中で電話と向き合っていた。
 私は貴方は怖くなかった。
 私はいつ鳴るかしれない電話の方が怖かった。

 私は動かない貴方は怖くなかった。
 貴方から死臭はしなかった。
 貴方は腐臭も漂わせなかった。
 貴方は青ざめてもいなかった。
 まるで眠っているようだった。
 私は、騙されているのではないかと、思った。
 何もかもがフェイク、何もかもが、私をからかう為に準備されたことなのではないかと思った。
 貴方は青ざめてもいなかった。
 ただ動かないだけだった。
 眠っているようだった。
 ただ呼吸をしなかった。

 今は枕で見えないけれども、貴方の頭部に残っている傷の他に、異様なところは何もなかった。
 ただ、動かなかっただけ。

 姉は泣かなかった。
 姉はさざめかなかった。
 けれど青ざめていた。
 機械のように何度も何度も頭を下げていた。私は、そんなふうなのが気の毒で、誰もいないところで彼女を抱いた。
 姉はその時ようやく泣いて、貴方の頭部の傷のことを言った。最後はそこに血がたまって、後頭部が真っ赤になったのだと、泣きじゃくりながら彼女は言った。
 私の喪服の右肩は、彼女の涙で真っ黒に濡れた。

 私は貴方の頭部の傷、とやらを結局一度も見ずに終わった。
 その付近に血がたまって真っ赤に見えた、というくだんの傷を、見ないそのままで貴方は焼かれた。
 長い箸を握ってちらりと見た頭蓋にも、衝撃を示す痕は見られなかった。
 私はたぶん心臓に近い辺りの、小さな骨の破片を拾った。

 貴方が姉を残して逝って、六年以上も過ぎてしまった。
 あの時、貴方と二人きりになった部屋に、時たま留守を任されて、一人で座っていることがある。
 鳴るはずのない電話は怖ろしくない。
 貴方の寝ていたと同じところに今も貴方の父上の布団は敷いてある。
 あの時貴方と二人きりでいて、動かない貴方は怖ろしくなかった。息をしない貴方は怖ろしくなかった。青ざめてもいない貴方から、死臭も腐臭も漂わなかった。
 あの時、貴方と二人きりでいた部屋に、六年以上も過ぎて一人でいると、わけもわからずに怖ろしくなる。

 貴方があの日、押し潰しそうになったこの右肩に、姉が貴方を叫んで涙を落とした、貴方の傷を叫んで姉がしがみついた。

 先天的に脳の血管が詰まっていた、そう言われた。
 遅かれ早かれ、いつか倒れていたでしょう。

 私が何を振り下ろさなくても、貴方は血に染まっていたのでしょう。
 遅かれ早かれ、いつか倒れていたのでしょう。

[2004/4/29]

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