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disguise / 見せかけ 変装

 いつだって、見えていた。
 心の中には死に損ないの女がいた。
 壁に半分埋め込められて、着物はぼろぼろ、髪はどろどろ、膚も土まみれ、美しいわけがなかった。
 死に損ないの、指すら動かすことのできない女だった。
 その女が、笑ったのだ。
 凄惨なような、妖艶なような、嘲笑とも誘いともつかない顔で、ほんの幽かに唇を歪めて、女は僕を笑った。
 死に損ないが、いつまでもこときれないでいる。

 それが見えていた。

   *

 僕は観客を眺めるのがすきだった。
 目の前に座っているのに顔も上げずに眠りこけているババアも、少し遠いけれどくいいるように見つめてくれるあのコも、ふらふらと席を立っては、またいつの間にか元の場所にいる踊り子も。
 そして見えるはずのない、屋根裏席のあの人も。
 僕は彼ら彼女らが、僕に注意をはらっているのを見るのがすきだった。
 よそ見をしている者の視線を獲得するために、声を張り上げたり、手足を振り回したり、きたない言葉をつかったり、いろいろやった。
 けれど、どれほど多くの人々に見つめられても、満足できなかった。
 高位の客も恵まれない客も着飾った客も着の身着のままも、興味があるのは初めのうちだけで、僕を満足させることはなかった。

 僕が満足することはなかった。
 僕に満足することもなかった。

 彼らは増え続ける一方で、誰ひとりとして、立ち去ろうとはしない。ふらりと外に出ても、必ず此処に戻る。
 決まり切った台詞、百万回と聞いてきた台詞を、彼らは今日も受け止める。

 僕は無茶をした。
 狂った振りもした。
 台本にない台詞を吐いた。
 台本にない役柄をやった。
 浅く皮膚斬って、死ぬ振りもした。

 誰も動かなかった。

  あなたがた、なぜお帰りにならないのです

 椅子に身を沈めて。

  すべてお芝居ですよ

 こちらを見たり、見なかったり。

 呼びかけても、答えない。

 これは芝居なのに。
 これは芝居なのだ。
 屋根裏席のあの人が誰よりもそのことを知っている。
 屋根裏席を誰も見上げないように。
 彼ら彼女らの注意をそらすために。
 屋根裏席に横たわるあの人を邪魔しないように。

 僕は芝居を続けてきたのだ。

 いつも目の前の席で眠りこけていたババアが、言った。

  あんたの正体は、いつ見られるんだい

 目をそらしたままで、そう言った。

   *

 いつだって見えている。
 心の中で、死に損ないの女が笑う。
 壁に半分埋もれた、指先すらも動かせないような、死に損ないで、女は笑う。
 凄惨のようだ。
 妖艶のようだ。
 いつも見えている。
 唇をほんのかすかに、歪めて、

  あんたの 正体はいつ 見られるの ?

 見えていた。

[2004/3/18]

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