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ひとりでも

他人の評価を勝ち取らなければいけない時もあります。
レポートを書いて先生にマル合のハンコを押してもらわなければいけないのはその良い例です。

だけどそんなのは君の本質とナニも関係ないのです。
レポートを頑張って書いたらそれはある側面で確かに、根性とか努力の結果であるかもしれない。でももしそのレポートにトンチンカンなことを書いてマル否マークをもらってしまっても、そんなのはただひたすらに成績簿の上でのことです。マル否マークは君の本性まで評価しての結果ではないのです。

自分の評価は他人の数だけくだされてしまいます。
それはもちろん、優しいものばかりではないどころか針でつつくよーな辛辣なものの方が多いです。人は他人に厳しくできているのです。親しくもない他人に優しくすることのできる人は、それだけたくさん傷を背負ったことのある人です。そーゆー人は今の世の中めったにいないのです。

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2004.11.27.17:26 | トラックバック (0) |

山と波と谷

自分で自分の弁護なんかできないのならそれが一番シアワセかもしれない。
自分のことを常に肯定してくれる存在とゆーものが、欲しくて欲しくてしょーがないネ!その存在の意義を「自己の絶対的な肯定」と定めたのがここ数年にしても、子どもの頃から自分はずっと、そーゆーものを求めていた。

何も言わなくても自分の意地と見栄の裏側を見抜いて、それを微笑んで許してくれる。困ったもんだと、思いながらも微笑んで許してくれる。そんなのが小学生の唱える理想かよ。

理屈だよね。

やっぱり私は壊したかったのかもしれない。
そういう肯定を互いにやっている彼らが羨ましかったんで、壊したかったんだと。だけど自分がそのせいで悪者のレッテルを貼られるリスクは避けたかったので、強硬に固めた。声高に叫んだ。「やめようね?」「駄目だよね?」

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2004.11.27.23:47 | トラックバック (0) |

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