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民俗学的資料としての自文

てゆーかですよ。

日記といふものの本分は、「千年後まで生き残れたら民俗学的資料として利用されうる」ことにあると思っているのです、密かに。千年前の庶民がどのように日々是暮らしていたものか、ということが緻密にわかればわかるほど良い。個人の生活の記録が細々と記されていればいるほど、日記としての価値は高まるもんである、と。

その点、わけのわからない抽象語ばかり書き連ねられる斯様な日記は、自己満足にこそ成り得れ、ひとたび私の中を抜け出たならば誰の役にもたちゃしねぇ、鼻かんでポイッと捻り捨てられるくらいがいいザマで、印刷物として存在すらしないモニタの中の活字では、それこそ闇から闇へ消えて誰にも惜しまれることのないもんである。

という長ったらしい文章を頭の中で構成いたしまして。

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2003.05.06.20:59 | トラックバック (0) |

本を読んでいておもむろに。

ふらっしゅばっくのように眼前に浮かんだ風景が

まっさらの木綿に紺で椿を切り絵の如く描いた浴衣、
海辺の砂浜、晩夏、土用波、後方に防風林、ごつごつの松、
真っ直ぐのかむろ髪をざくざくと梳いてなびかせる風、
足元に土用波、後方にごつごつの松、眸。
円く大きく濃く黒く、ぱっちりなんて可愛げのある形容詞ではとても足りないような、突き刺さる如く強い揺るぎない眸。
白地に紺で切り絵のような椿の散った浴衣の裾を両手でたくしあげて、脛を洗わせる遠浅の海で仁王立ち。上から下まで身体は真っ直ぐ眸も真っ直ぐ、かむろの髪と浴衣の端だけばさばさとなびく。

ああ、これぞCRUDE。

(憑かれているね、自分。)

2003.05.06.23:19 | トラックバック (0) |

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