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操縦術
無感覚で無感情になろうとした。
けれどココロは勝手に痛がっている。
泣くまいと思った。
けれど勝手に流れる。
現実に痛いんだ。言葉をこねくり回してどうにかなるような問題じゃない、今ここが痛いんだ。ひとひとりを自分の中から追い出すことができない。掌に突き刺さってまるで腐蝕するように音もなく広がる。
自分でどうしようもないものが飛んできて取り巻いたというだけのことだけど、それがいちばん厭な事だよね。それを避けて今まで人の目から逃げるようにしてきたのだから。
一人でいたってそんなのは全然孤独じゃない。
誰かに出逢って初めて孤独になる。
一緒に歩いてはいけない人とすれ違えて初めて孤独となる。
Read More... 一度別れた人と、どうして二度も別れなきゃいけないのだろう。
こんなのはもう厭だ。
なんでこんな無駄なことをしているんだろう。
右と左からそれぞれ不信と肯定を渡されてその時はその二つが相殺したような気がしていた。私は肯定を有り難く頂いた。この為にこの人に出逢ったのかと思った。
だけど結局は不信だけが生き残って、今でも私の中に息づいている。
肯定が結局はぬぐい去れなかった不信が私の中に残されている。
そこで今またなぜ今度は否定を、いただかなくちゃいけないんです。
放っておいてくれないのだろうか。
ナゼ。
ほらまた始まる。
無感情になって無感覚になって無関心で無感動で、そうして生き残ればナゼと問うこともなく、傷つきもせず、他人にお構いなく、一人きりで孤独を感じることもなく。
そういう生き方でいいと思った。
阿呆みたいに泣かなくていいと思った。
だけどいま苦しい。
「悲しいんじゃない」。「苦しいんだ」。
そんなふうだ。
躓いて転びかけてそれでもうまくバランスを取り直した道ばたの石ころが、なぜもう何日も歩いてきたこの道に再び落ちていたのか、そうして今回はモノの見事に足を取られて地面に顔から突っ伏したのか。
起きあがれないなりに私は這い蹲って進めてるのだろうか。
それとも倒れたその場所で死んでいるだけ。
なんでこんなとこにまたあの石がなきゃいけないの。
そう恨まれる石はとっくに消えている。
そんなような。
たとえ話ばかりしていてもどうにもならない。
何度目に言うのやら、「けれども」。
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2005.07.31.23:13
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