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死んでいるわけではない
生きている。
お変わりもありません。元気でも病んでもなく生きている。
▼漱石の「ぐびじんそう」を読んでいてこんな文章にあたる。
「二た通とは」
「不作法な裏と、奇麗な表と。厄介でさあ」
「日本でもそうじゃないか。文明の圧迫が烈しいから上部を奇麗にしないと社会に住めなくなる」
「その代り生存競争も烈しくなるから、内部はますます不作法になりまさあ」
「ちょうどなんだな。裏と表と反対の方角に発達する訳になるな。これからの人間は生きながら八つ裂の刑を受けるようなものだ。苦しいだろう」
Read More... あ、コレがアレなんだわ。
と思った。
でもまぁいい。私にはもう関係ない。
いつか夜中の地震で部屋の中ががたがたと鳴って、何かが落ちて砕ける、どしゃんという音がした。がらすが割れた、のだと思った。朝になり、どこを見ても落ちたものはなく、何もかもが何もかものあるべく置かれた場所にとどまっている中で、モニタの上に載せておいた付箋で折った鶴だけが下に転がっていた。
何もかもは自己満足でしかないと思う。
「斯様に生きた」と、死ぬ間際に言い残したいがための自己満足でしかないと思う。誰の念も想も、物理的に突き進んで生じる結果には影響を及ぼさないのだろうと思う。それでも祈るのは、自分が手持ち無沙汰な故であるかもしれない。
それでいいと思う。
どうせ他人だもの。
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2006.05.12.15:03
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