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蚤のサァカス
信じるということは、それがそうでなかった時のリスクを自ら増やしていくということ。
まさに恐怖の振り子。
信頼でぐるぐるまきにして重く重くした振り子を、えいやッと向こうに押してみる。それを向こうであの人が受け止めてくれることを信じる。
受け止めてくれなかった時に、自分の巻き付けた信頼と押し出したチカラは全部こちら側にブゥンと戻って私をふっとばすのだ。うまくよける才覚も持たないから心身ボロボロ。骨も粉々。
否。それとも。
案外うまく、のらりくらりとかわしてきたのかもしれないネ。
だから私の通った後には幾つも振り子が揺れている。
よけて逃げてきたからその振り子たちは止まりもせずにまだ揺れている。
だから後ろには逃げられない。
Read More... 傷つくのが厭だから何もしない、って、それでいいのだろうか。
いいも何も。今までさんざん自分の無鉄砲と無計画と無謀で過剰な自信にしっぺ返しを喰わされて、もう二度とすまい、と学んだ結果が、これじゃないのだろうか。
あのサーカスのノミなのだろうか。
何度も飛び上がってそのたびに捕まって、捕まり続けて最後には飛ぶことすらも諦めた、あのサーカスのノミなのだろうか。
もう網の外に出されても、一度諦めてしまったから二度と飛び上がってみることをしない。あと一度、今もう一度飛び上がったらばもう何にも止められることがなく逃げていける、それでも諦めたから飛び上がろうとしないあのサーカスのノミと私は一緒なんだろうか。
でもやはし、「もしも」はずっと私の頭の外には出ない。
否定をされて、自分でも否定して、もうどーでもいいや、と思った。みんなみんな贅沢だと思った。強いから一人じゃなく価値がないから一人でも、もう何でもいいと思った。
思ったよ。けども。
私が貴方にとって我欲の誘因だと言われるだけでもシアワセなのに、貴方の空杯満たしていくのが私なのだと言われたら、それだけで私は充分生きていけるのではないですか。
最近はもうずっとこんなふうに、会う人ごとに、会わなければ良かったと、三歩離れた途端に思ってばかりで。
運命さま、それともコレはアナタなりの、優しさ溢れる不渡り小切手 ?
私がそれを頂いただけでシアワセだとか。どうせ換金しないだろうとか。そんなことを見越した上で、夢はでっかく描いてくれた零の列。なのですか。
それでも別にいいのです。
どうせ換金いたしませんし。
私はやっぱり飛び上がらない。
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2005.10.19.21:30
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