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significant other
実は2日間も通い詰めるつもりは無かった。
2日どころか1日だって、行くつもりはなかったけれども。
12月と同じように誰も彼もに、やめておけば、と言われ続けて。あの時と同じように、本当に誰もオススメはしなかった。自分でもすぐにわかるくらい、自棄になってそんな事を思いついたのだと思った。わざわざここまで歩いた道を引き返すようなムリをしないに越したことはない。放っておいてもいつかは消え去る棘を苦にするあまりに、そこに意識を集中させたくないためだけに血を浴びに行こうとするような。そんなような。
だからそんな阿呆はやめておこう。と、珍しく素直に、そして簡単に心を決めた。
けどもまあ。
自分のことが、ここ最近はもうずっとそうだけども、まったくわからない。
当然のような顔をして出かけて行った。
Read More... すっぱりと、あっさりと「行くまい。」と決めたのは、決めたわけではなかったからあんなに簡単に出せた結論だった。あれも欺瞞。悩むのをやめたのだと思う、そう決めたフリをすることで、他人に「やめなさい」と言われるのも自分で、「やめなければ」と、思うのも。考えれば自分で自分の走りたがるのを必死でこらえたあの時が一番キツかった。私はアレを回避したくて、自分で自分をうまく騙した。また。
なんだか色々あったような気がする、昨日今日。
その実なにも無かったようでもある。
暑くて連日3時間しか眠れなかったせいなのか。それともちゃんと私は明日に向いていたんだろうか。いつもなら夜の考え事は理性よりも本能が先行して判断に誤って、朝になると却下していた選択ばかりなのに、今回はそっちを採用したり。出かけていくのに何の気合いも、まして気負いもいらなかったり。
誰もが止めて、自分でも自棄だと思い、それでもこれは本当に為すの為さないののどちらが悪いのかまったくわからない選択で、それならばやってみてもいいじゃないかと。そうしても尚、会いに行くのではない調べ物があるだけ、と建物を目の前にして気が咎めるようで。
そうして声を聴いた。壁いちまいの向こう側で。
調べ物と銘打って、私がアラタさんの残していった製図なんかを広げているその壁いちまい向こう側で。
明日はちゃんと会おうと思った。
いつも無表情なばかりのあの人が、微笑んだように、少なくとも「見えた」。そこら辺から、なりふり構わず一点を目指して余所見もしなかった張りつめた自分が、良い意味でふにゃりと、弛緩した。
こんなことなら、去年だってさっさと出かけて行ったらば案外、簡単に思い切れたかもしれなかった。そう思う一方でやっぱりこれは、今だからこそ対峙できた現実だったかもしれないとも、思ったり。時間がずずっと経った、今だから。
声を聴いたり顔を見せたりしたら、ナゼだろう、それまでの罪悪感がするする消えた。私がそれだけ駄目になったということかもしれない。けれどもうこの人のことで自分を否定しなくてもいいと思った。ラクだった。
私の中であの苦しかったメグミさんは終わったのだ。
私は傷つけたくて走ってきたのだと思った。またこの人をざくざく斬って、いわゆる「必要のない精神の破綻」とやらに遭うのではないかと。掌の棘を忘れたいばかりに自棄を起こしているのだと。
そう思った。でも違った。
もう私はこの人を傷つけることはないし、その事で自分を否定しなくともいい。嫌いになったわけではないし、すきじゃなくなったわけでもない。けれども、私の中でやっぱりメグミさんは、一度スッパリと終わっていた。それは12月に「走らなかった」成果なのかもしれない。
分かれ道に立って自分が選ばないほうの道を決めて、その岐路をもう振り返っても望めないほどに遠ざかった今のこの場所で、別々の道を歩いているその人と挨拶を交わした。そのような懐かしさ。けれど懐古だけではなくて、ここから新しい存在として、もう自己否定にも他者否定にも繋がらない優しいだけの存在として私のなかに息づいていくのだと、それを知った。
易しいだけの存在として。
前髪が切り揃えながらも去年よりのびているのを見つつ、そんなことを思った。
会って良かったのだと。思う。
今は。
切りきることも為されずに消化もされないまま再び相見え、また同じこの道の上に何を間違えたのか一足だけ踏み込んで、黒々と足跡つけて行かれるような、そんなような最後を頂くことこそ多い接触の中で、なんとも貴重な「再会」だった。
それもやっぱりあのヒトの人徳であるかもしれないと思うあたりが、私は相変わらずその人柄に降参している。
メグミさん、私はもう貴方の澄んだ湖面に、廃油を流し込んだりはいたしません。ただ遠くから見つめていられます。
そうして時折貴方の饗する尊い清水のひとすくいだとか、反射する光が助ける足元の灯りを、素直に頂くことができます。
けれどもそれがシアワセかというと、私にはなんだかわからないのです。
それでも、いまはそんなでも、いいのではないかと思ったり。
棘も変わらずに刺さったままなりに、それはそれでもいいのではないかと。
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2005.08.06.22:41
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