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拾われない不安
見捨てられ不安ではなく、その前提として誰に拾われもしない。不安。
会わなくていい人に会った。
二度と会わないと思っていた人に会った。
自分から会いに行かない限りもう二度と会うまいと思っていた人に、今日また会った。
とんでもない、とんでもなく非道い巡り合わせだと思った。
会ったということに対して嬉しいも悲しいもない。それを論じる以前に、また会ったということがとんでもなく非道い。
偶然と必然という色気もドラマ性も何もない二つの要素が絡まり合って、「いたずらに」あの人をあの場所に置いたとしか思えない。私にはあの場所にいる正当性があったけれどもあの人には微塵もない。非道い。
Read More... 私は遣り過ごしたのだ。半年前にあの人との現実としての、別々になる、ということを、自分で自分に満点を出していいくらい上手くやり過ごせた。その揺り返しが今日だったわけでもないと思うけれど、負うべき時に負わなかった傷は後になって更に深くココロをえぐるものであると、今更初めて知ったわけでもあるまいに、ナゼ。
すれすれのところでかわした刃物が、半年かけてぐるりと回って、のうのうとしていた眉間に正面から突き刺さった。そんな感じ。
なんでいるのかと、凝視してしまった。
似ているだけの別の誰かなんではないかと思った。
顔を上げられなくなった。
1秒をどう定義すればいいのだろう。アラタさん。欺瞞で良かったんだ。
欺瞞でもその場しのぎでも何でも良かった、私にはあの無条件の絶対的な肯定が必要だったんだ。私が欲しかったのはカウンセラーじゃない。切り刻むようにコマを切って、そこから広がる放射状の線のうちの一本で、踏み越えないように黒々と線を引いてくれるそんな聞き役じゃない。
私には半年前のあの二秒がこの先も必要だったんだ。
欺瞞でも良かったんだ。
なのにナゼ。
ほんとにナゼよ。
シアワセですらありました。
欺瞞でココロを防衛して貴方が剥がれていった赤剥けすらもあっという間に覆い隠したのだから。
私のようなちびな存在が、自分にどんなツジツマ合わせをしてひとりでシアワセになったって、誰にも迷惑なんてかけないじゃあないですか。道ばたでひとりで落ち着いているのを、どうしてわざわざ蹴っ飛ばしていくんですか、神様。
私が自分で自分のいいようにあの人の行為を解釈してそれを自分の拠り所にしていても、それであの人に迷惑をかけたわけじゃないじゃないですか。神様。
ナゼ、わざとらしくあの人を、もう一度私の前に連れて戻して、私の前をわざわざ素通りさせて行くのですか、ホントに。
ホントに神様、あの時の刃をよけたのがそんなに悪いことでしたか。生きていくうちに流さなければいけない血の量でも決まっているというならば、それに私の量がまだまだ足りないというならば、私はここで目安を達成するために身体切り裂いてべしゃべしゃと地べたに崩れ落ちたいくらいです、汚らしくも。
そうしたらもう誰も躊躇すらせずに私を踏んで行けるでしょ。
汚らしくて。
忘れるなよ自分。
忘れてしまえよ、自分。
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2005.07.26.23:21
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