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背景はどこにでもある
真っ白なバックグラウンドの人間なんて存在しませんし。
少し遅れて「スイマセン。」と言いながら颯爽と入ってくるのですよね。
その「颯爽」は決して「春風のような爽やかな」ではなく、「夏の川面を渡る涼風のような」でもない。ただひたすらに、そのとき行き違えたらずいぶんと強く頬にその残風受けるであろうくらい急いでいる、その喩えなのです。
誤使用だろうとも。
そして自分の持ち物から目を上げない。
たまに人間を見ていると思うと、視線の先はたいていその人の持ち物。
だけど、足りているヒトなんて居るんですか?
そう言った。
それを聞いた時に、横っ面張られたように感じてハッとした。
同座の人は笑って聞いていたけども。
Read More... 誠実さがどこにあったのでしょうか。
柔和なんて表情は一度も見せなかった。
浅薄さを表すように、誰とも視線を合わせようとしなかった。
まるで人を図面で捉えるような乱暴なあけすけな。
そうして目盛りで測るような正確な。
足りているヒトなんて居るんですか。
足りていない部分を補い合ったり、足りていない部分にぴったりはまったり、足りていない部分が愛おしかったり、足りていない部分を確認してそれでも同じように愛したりする。
自分の理想を形にしていけるのなら、それはシアワセなのでしょうね。
その枠のなかにおさまる、特に自分の姿を想像したら。
相手の姿も。
けれどお愛想にも笑わない。
一長一短だと言った。
妥協はどこかで必ずしなければいけないと。
なんだか片端から否定的な態度とも取れた。
もし自分に揺るがない自信があったなら、その態度は不愉快だったかもしれない。
けれど私には同時に私自身の肯定だった。
欠けまくりの自分の器。
半分にも満たないその中身。
どろどろの質。
「そういうのもアリですよ。」
奥のほうで、覗き込まないとわからないようなずっと奥のほうで、肯ってくれた。
あの人の延長に貴方がいる。貴方と同じ線上にあの人がいた。貴方はまるで鏡のようにして私の身体中の醜い腐敗部を私に映して見せた。それまで歪んだ鏡で誤魔化していた醜態全て、私の意識に叩きつけてきた。鏡の映像は瞬間で、貴方はあっという間に私の前から消えてしまったけれども、その後に私の前に立ったあの人は私の手を取って足を取って、映像ではなく現実に私の目に改めてそれをさらして、その腐ったドロドロもひきつりも子どもの頃の傷跡も、なぞりながらいちいち指摘してあげつらって私に再認識というものをさせた。
貴方を抜きにしてあの人に出逢っていたらば私はあの人に打ちのめされたのだろう。けれど貴方で充分に衝撃を受けていたから、私は何をなぞられても平気だった。あの人は私の醜態を論じてもそれを否定はしなかった。それが駄目だとは言わなかった。
そういうのもアリなのだと肯った。
あの人も貴方も、同じひとつの正体なのではないかとたまさか思う。糸で繋がるようにして現れた同じひとつの正体なのではないかと。
ユメのような話だ。
作り事のようで、にわかには信じがたい。
それくらいでは救われがたいことも。
何もかも誤魔化しでしかないことも。
私の後ろにはもっと汚いものが控えていることも。
だけど今なら見下ろせる底が近いです。
私は二歩でも三歩でも、其処よりは上にいる。
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2005.02.15.19:29
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