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カルガモ
影響下にある。
その人が「何某は云々だ」と言うのを聞いただけで、私の中でそれは一つの規範となる。
私の価値観というものは結局、すべて刷り込まれたものかもしれない。
それを自分で意識しながら、誰かに、そうですよ と言われてしまうのは厭なのだ。
たぶん医者に行ったらばその欄に異常の診断下してもらえるのであろ。
その、外部からのお墨付きをもらって初めて、それが私の逃げ道になるのだと。
思う。
Read More... ほらね。
私の可能性を、知らぬ間に削ぎ取っていったのはあの人なのよ。
私じゃあないのよ。
あの人の絶対的な支配力ってものをもって、あの人は私から奪ったのよ。
私が駄目だと私に吹き込み続けたあの人のせいなのよ。
駄目だったのは、私のほうじゃないのよ。
みんなそう言ってるのよ。
とかね。
言い訳できる自分になりたくない。
自分で、そう思いこんでいるだけで、それは君の逃げ口上に過ぎないのだと。君は飛んでみればいくらだって飛べた。その気さえあればどこまでだって飛べた。地上を這い蹲って生きているのは誰のせいでもなく、すりこまれたんではなく、自分の全て責任なのだと。
言い訳のできない自分でありたい。
そうじゃなきゃいけない。
駄目だったのは、私のほうで。
私に何か一つでも真摯な理想があったなら、1ミリだって空に浮いていた。
人が人に支配されるのは、人が人に抗うことをやめてしまった時だけだ。
人に抗うことをやめるというのは、自分のなかの自己を捨てること。
少しでもそれが残っているのなら、自分を腐らせた責任は自分にしかなくて、私は誰も責めることはできない。
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2004.09.11.23:07
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