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ハタチ
頼むからさっさと死んでくれよ。
と、毎日のように思って。
考えて。
願って。
祈って。
呪う。
そういう自分を別に酷いとも悪いとも思わない。もしも私を非難することができる人間がいるのならば、私はその人に屈服してもかまわない。私の身になって私を非難することのできる人ならば、私は何を言われても構わない。
理解しようともしないただの上っ面だけの非難、それは許せない。
Read More... そんな酷いことをよく言えたものだとか、テレビのワイドショーと同じレベルで人を裁こうとするんじゃないよ。誰にだって事情ってもんがあるんだよ。それを知りもしないで、冷酷だとか非道だとか、人の行為を切り捨てるんじゃないんだよ。
事情ってもんがあるんだよ。
その行為にいたるまでの散々の道のりってものがあるんだよ。
それを見もしないで、そこを歩いてきた人達の苦しみに自分を重ね合わせもしないで、人を裁くんじゃないんだよ。
理解しろなんて言わない。
だけどせめて自分を重ねてみなよ。
五分の一だけでも、頭の中だけでも、痛みを感じなよ。
血を分けようと何年一緒に暮らそうと昔に恩義を受けていようと、人の上に死を願う気持ちがきっとわかるよ。
そういう呪いは最後に全部自分の上に戻ってくるものなんだ。願いが現実になった時に、自分を恥じるのは自分自身だ。呪った自分の姿を、今度は自分が呪うようになる。そのことが半分はわかってる。自分の器の小ささを呪う。
だけど今でしょう。
問題なのは、生きているのは、苦しいのはいつだって今でしょう。
今をどうやって生き残るのかで必死なんだ。
自分をどうやって食い止めるかで必死なんだ。
口に出すことでそこを越えないでいられるのなら、それが自分へといつか矛先を向けようと、私は逃げ道を利用せずにはいられない。引き延ばしていけばいつかは終わる。
明日にでも終わりそうに見えて、それがもう何年も繋がってきた。
引き延ばしていけば必ず終わる。
明日にでも。
その今日が何年も。
自分が自分を絞り込んで絞り込んでがりがりになって干上がっているのを見て、きっと救済の手をさしのべてくれているのだと思う。もういいから、あなたは行きなさい、そう言ってくれているのだと思う。
行きなさい。
と けれど 示された道は、
示されている場所は、あまりに遠すぎて、輝いて
まるで夢のようだ
まるで過去のようだ
辿り着くとは思われない。私の足では。私のチカラでは。
私一人では。
私はたくさんの人に生かされていた。
たくさんの人に支えられていた。
今その場所にもう一度、今度は一人で戻れと言われて、そのことを知った。
辿り着けるとは、私一人の力では。
思われなかった。
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2004.07.17.20:54
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