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if do still
無力感ばかり際だってゆく私はただ見ることしかできない。
然りながら見る。
それもできない。
長くて短い。
だんだん飽きてきた。
「飽きる」なんて厭な言葉で、他に美しい言葉を使おうと思えば使えるし、誤魔化そうとすればそれもできるけれど、やっぱり飽きた。待つのに長すぎる。巡るにはまだ短い。中途半端なモラトリアムに私は踏み込み始めたばかり。
Read More... 誰もが貴方ではないことに、私は少しく慣れてしまって、誰も貴方になれないことに、いちいち何故とは言い続けられない。
誰もが決して貴方にはなれない。
冷静に考えて、年数を考えて、結婚も家庭も、シアワセも偽りも、もしかして始めから備わっていた素質も、ただ知ることができなかったそれだけも、可能性と潜在性、それだからこそ「そうじゃないかもしれない」と自分を騙し得た可能性、冷静に振り返って。年数を考えて。
阿呆のようだ
とは思う。
けれどそこで切ることはできない。
あの時、初めて気がついて、私はそれまで軽い気持ちでいたけれどそれは単に実感がなかっただけで、私が其処を去るのだということ、次に降りる場所はもうその国ではないのだということ、待てばよい、というそれまでの公式がもう働かないのだということ、今逢えないということは、二度と逢えないかもしれないこと、それにようやく気がついた。
だけど泣かなかった。
もっと無惨な真実がそのもう一つむこうにあった。
真実は知らない方がいいのかもしれない
自分をあのまま誤魔化してやり過ごしたら今のようにはならずに済んだ
昔の自分ならいざ知らず、私は七年綴り続けた全ての言葉を、今自分のなかにもう一度飲み込んで 帰化させて、それが内より私を侵してゆくのに耐えなければいけない。
叫ばないように。
叫ばないように。
叫ばないように、右手で左腕傷つけながら。
叫ばないように。
走らないように。
走り出しても行き着く先はない。
行き着く先がないから、走り出したらば止まりようがない。
叫びなさい、
いっそ走りなさい、
ならない。
それは、ならない。
けれどもし貴方がシアワセだと言うなら、それを然りながら見ることができるのならば、一瞬でも、然りながら見ることが叶うのならば、その為に力尽きるまで走ってもよい。
声が涸れるまで叫んでもよい。
息がとまるまで。
Close...
2004.06.15.23:27
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