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呼ぶなら呼んで。
君に、そう思わせるのだけは厭だったよ、私、
だけどそう思わない方が無理なんだよね。私。
それよりももっと。
言うなればもっと。
そうであるほうが自然で、いちいち意識もしない。それが普通。改めてそんなことをココロの中で唱える必要もないほどそれが自然。無意識に呼吸を続けるのと同じほど自然。君にとってそれがそうであることは、意識する以前の前提。
なのだと。
私は。
私は、
Read More... 僕は、それが自然ならそれで良かった。口にする必要がないのなら気づかないほうが良かった。寧ろ、気づかれないようにうまく立ち回るべきだった。
だけど、
けれども。
現実というのは強い。
強いが故に出たがりでしょーがない。
一度顔を覗かせると全身晒さずにはいられない。
図々しくて厭だ。
どこにでもしゃしゃり出てきて厭だ。
見ないふりをしたいのに、気づかないふりをしたいのに、眼が合うまでエイエンに、目の前をうろうろと歩き回る。挙げ句の果てに立ちはだかる。根負けする。
他に仕様がないので、眼を向ける。見つめる。その醜さに厭になる。どうせこの程度、と予め下げていた期待を更に下回る酷い姿が眸に映る。
厭になる。
君が、君に限らずだけども君以外は君ほどに僕にとって痛くも痒くもしんどくも鋭くもない、君が。
私を呼ぶでしょう。そうやって呼ぶでしょう。
たとえば意地を張ったりへそを曲げたりして返事をしないでいるでしょう。
そうすると、倒れてゆくのですね。
貴方は後ろに倒れてゆくのです。
笑いながら倒れてゆくのです。
私は貴方が、そのまま奈落にでも落ち込むようでぎょっとして、まるで自分が貴方を突き押したようでぎょっとして、焦って、慌てて、正体失って、急いで手を伸ばす、けれど遠すぎて届かない、だから藻掻くようにしてなりふり構わずに駆け寄ろうとする、間に合わないのがわかっていても、駆け寄ろうとする、貴方は後ろに倒れ込む、私は間に合わない、手は遠すぎて届かない、まるで自分が貴方を突き押したようで、奈落に落ちていくようで、焦って、慌てて、なりふり構わずに、
咄嗟にのばした手は届かない。
駆け出すけれど間に合わない。
それをわかっていて、なりふり構わず。
そうして、奈落に落ち込むかと思われた貴方は、後ろで待ち受けていたかのひとの腕に抱かれる。
私は、立ちつくして見ているだけ。
貴方がかのひとにそのように優しく受け止められるのを、立ちつくして眺めるだけ。
その繰り返しで。
私は、何。
必要ないのなら、私なしで貴方が何処にも陥ることのないのなら、何故呼ぶの。私なしで貴方はどこにも陥ることのない。貴方には抱きとめてくれる人がいる。それならば何故呼ぶの。
私無しでも貴方は大丈夫。
ならば何故呼ぶの。
私は、何。
誰に対して何度問えばいいの、私は、何 ?
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2004.05.04.21:02
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保存用タッパーじゃあるまいし
貴方を助けたいと思うのがそもそも私にとって間違いなのかもしれない。貴方は助けなんていらないのかもしれない。助けられるのは私じゃないのかもしれない。
私じゃない。
それは確かに私ではない。
貴方には選んだ人がちゃんと側にいるのだし。私が面しているのはやっぱり、ワタクシじゃなくてオオヤケ、の方の貴方なのだと、思う。貴方が面しているのもワタクシじゃなくオオヤケの私なのだと思う。お互いにオオヤケ同士をワタクシの心に取り入れて誤解なんかがあったかもしれない、私が、貴方を、救いたくて救えなかった時も。
貴方を余計に切り裂いた時も。
Read More... お互いにとてもすきな人の話をする。
いい人なのだね、と言う。
シアワセなのだね、と言う。
「だから余計ツラかった」、そう心の裏側で言う。
貴方を見つけた時に、余計ツラかった。一緒にいたいと思ったから。貴方が、此方にいたい、と思わせたから。
いい人でシアワセ。
だからツラかった。
貴方を見つけて、此処にいたいと思った。
いい人でシアワセ。
戻っておいでと呼んでくれる。
なのに一人で大石引きずっている貴方を見届けたくて、此処にいる。
私は手を貸すこともできないくせして、此処にいる。
並んで走ると言ったよね。
それは貴方を挟んだ反対側にいる人の顔を見ないで済むから。
後ろを走って四六時中目にしているのも厭だし、前を走って振り返るのも厭だから、だから並んで走ると、そう言ったんだ。
早く戻ってこいと言う。
そう呼んでくれるのは、シアワセだと思う。
けれども。
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2004.05.04.23:54
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