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気づいたこと、ほんとうのこと。
カッコ開く。
君を想いすぎるから君と一緒にはいられないのだ。
君を想いすぎる。君を手にすると、その瞬間から君を失ったときのことを考えてオノノク。ワナナクのだ、だから君をとても所有できやしない。君を得た恍惚は君を失う恐怖に劣る。だから始めから離れ離れなのが良い。
君を想いすぎる、とても君とはいられない。
二重カッコ、
君とは決してシアワセになれない。
二重カッコとじ、
だから君に劣るけれど僕を愛してくれる、君ではない人を選ぶ。
かっことじ。
Read More... 今までそれが、自分にとってとても高潔な決心であるかのように振る舞っていた、想いすぎる人とはとても一緒にいられない、苦しいから一緒にはいられやしない。ほどほどに愛す。失って傷の浅いままで済む。そして想われるほうを選ぶ。シアワセにしてくれる方を選ぶ。
というのは、なぜ今までそんな簡単なことに気づかなかったのか不思議でならないのだけれど、七年間。
僕は君のシアワセなんざ微塵も願っちゃいなかったのだ。
否、君のシアワセを思うふりして、無意識に自分の保身ばかり考えていたのだ。
とても一緒にいられない君とはシアワセになれない。
誰がシアワセになれないのだろ、なんで一緒にはいられないのだロウ。
僕は君といるとしんどいのだ。シアワセになれないのは僕だったのだ。僕がフコウだから一緒にはいたくなかったのだ。そうして無意識に楽な方を選んでしまった。想うより想われるほうがいいや、ポイッと。
私はほんとうは貴方に何をしていたのだろう、この七年。
私は貴方に恋なんてしていなかったのかもしれない、まるで夢想のようだ。私は自分の作り出した、そして顔かたちだけ貴方を借りた、虚構と遊んでいたのかもしれない。
いろいろと出した答えがいつもいつも示したのは虚構だった。夢幻だった。だけど私はそれを真実として選ばなかった。それは私の探している真実ではないのだと、あまりに劇的ではなかったから、あまりに淡泊で味気なかったから、真実に非ずや、と切り捨ててきたけれど、ほんとうはどうだったのだろう。
いま、どうなのだろう。
私は恋なんざしちゃいなかったかもしれない。
ここで忘れたらば、ますます自分本位かもしれない。どころか、何もかもがパアになるかもしれない。
偶然なんざそれほどに格好のつくもんではなくて、莫迦みたいな勘違いばっかりで。少しばかり出逢いにくい要素が重なると、それだけで舞い上がって、決められ事だと思いたがる精神年齢の低さなんかが更に重なって、そのうえ何度も掲示された提言も却下して、何年を過ごすつもりなんだ。
眼を開かなきゃ駄目なんだよ、自分。
もうここでシアワセを探していいのだから。
自分。
ちゃんと手に触れるものを。
ちゃんと眼に映るものを。
瞼の裏で悲喜劇思うように操るのはもう、やめないと。
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2004.03.11.22:03
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