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おんぶおばけ
背負ったものを、「背負い込まされた」と、思うことがそもそもいけないんだわね。振り返ったり見上げたり見下ろしたり、どんなに首をぐるぐる回しても、自分の。自分の身体の中からでは意味がないのだわ。ある時もあるでしょうが。でも今はその時ではないのだと。
私はちっとも一人ではなかったし、私には輝かしい過去があり、今の一秒に何の不足も感じていない。
ということを、別に驕りでもなんでもなく、自省より生じるだけの自己を取り巻く環境の再認識、つーことから感じた。
Read More... 恵まれているのだ自分。
最近ちょっと傲慢だった。
誰かがそれを必要だから私の掌中に残らなかった。
私がそれを芯から必要としなかったから本当のニーズの元へ飛び去った。
なんでそれを欲しいと思ったのか、突きつめるとお飾りにしたかっただけなのだ。伸るか反るか!と問われた時に、欲していたのはそれじゃなく、そこから引き出せる限りの言葉と感情の諸々だった。私は自分の言葉を広げる為に、ちょっかいだそうと手を突っ込んだ。
何事も何事のあるべきところにすっぽり収まる、最後にはそれがわかるような仕組みであってほしい。
わかるような眸であってほしい。
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2003.04.07.20:48
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なんつー言葉足らずな。
言うなれば私に他人を観察して甲乙つける権利というのは全くなくて、不幸そうに見える人は案外不幸ではないのかもしれない。与えられた条件というのはシアワセとフシアワセの判断基準にはならないのだ。鍛えられて強くなるのだ、鋼の如し。それでも実体が弱ければやはりあっと言う間に打ち砕かれてしまうかもしれない。
言うなれば、カッコではなく条件でもなく環境でもない、プラスもマイナスもそれがどう絡むかの運すらも関係ない、ほんとうに生き様のシアワセ・フシアワセ、その人の実体に左右されているのだわ。そう知れた。
Read More... 知れたからって僕の中身はもう変わるこたぁできないような気がするが!たまにふらっと自分の外の世界にふれて自分を戒め自分の財産数え直して自己満足に浸り「シーアーワーセー!」と初めて気づいたかのように叫び、また数日経てば自分の持っていないものを数えては「ナゼ?!ドウシテ?!」と子供向け番組のタイトルのような言を吐き行きずりの人の顔思い出しつつお湯に沈んでしくしく泣くのだ。
シニカルじゃないよ。アイロニックでもない。
ただそうである、というだけなのだ。
そんなのはシアワセにしてもフシアワセにしても、本物ではないのだから確実に。ただそうしないとね、人生あまりに真っ平らに見えて生き甲斐見失いそうになるからね、今は。砂漠のように地平線ばかり見える生き方は退屈よう。
ぬるま湯人生、どうケリをつける。
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2003.04.07.22:34
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